お店の存在

あるブログで「お店とはあなたにとって何ですか」と書かれてから、時折考えているのだけれど、今日読んだコーヒー店のブログでは、「今まで自分が培ってきた思想や経験、感性の総和が独自性となってどう具現化できるのか。そして、その独自性が独りよがりではなく、お客様に共感されて求められて初めて意義のある商いができるのだと思います。そこが趣味の世界との境界線なのかもしれません。」こう書かれていました。

これはお店側からのまっすぐな意見で、こういうお店でコーヒー豆が買えることはありがたいと思いました。

この文章の前には、「お客様はオリジナリティなど求めず、好みのコーヒーが安定して手に入ればそれでいいというシンプルさ」ではないかという問いかけがあり、いやそうではなく、と上の文章に続くのでした。

客のひとりとして、オリジナリティは求めている、好みののコーヒーを安定して入手したい、この2つは確かにあります。この「安定」というのを意識するようになったのは、コロナですね。いつ閉店するかもわからない。年配の方が経営されていると、いつ閉店するのかと不安に思うお店もあります。あと、臨時休業が増えていると感じています。定休日じゃないのでといったら、お休みというのは、がっかりするものですが、それでも、臨時休業くらい受け入れるのが普通だとも思えるようになったのは収穫です。誰しもに「臨時」はおとずれるので。

「思想や経験、完成の総和の独自性」を客も感じられたらそれはいい関係なのではと思えます。

双方向に動きのある関係が健康な間柄に思えます。

昨日行ったお店で、丁寧にコーヒーをいれている姿をみて、家に帰ってきてからコーヒーを飲みたくなりました。その姿を思い出しながら。コーヒー豆を買うお店でも、テイスティングさせていただけます。今日行ったら、ティスティングを飲むことに意思表示できるようになっていました。常に微調整。すごいなぁ。

私はこのティスティングで飲んだコーヒーを目指して家でも飲むのですが、ハンドドリップではないので、マシンまかせではあります。それでも、ここの豆は本当においしい。と同時に、いやな思いをしたことがありません。

お客にとって、いつもいい気持ちにさせてくれるお店はありがたいです。